ドリフの「8時だよ全員集合」の特集を見て、懐かしむ人、初めて笑いに巻き込まれた人。
時間が経ってもドリフのおもしろさは変わりません。
特に、番組当初から一番笑いを集めた加藤茶は、常に笑いの火付け役でした。
番組誕生から放送時のエピソードまで、当時を知らない人でも分かるように解説します!
ドリフと言えば、8時だよ全員集合!
代表的なコント
当番組誕生時から人気のあった加藤茶の代表的なコントは、
色褪せないおもしろさ
ドリフのコントには体を張ったパフォーマンスがよくありました。
そのようなコントには、エピソードもありました。(画像は、あくまでもイメージです)
- 天井から、たらいの桶が落ちてきて、メンバーの目の前に落ちる。
- 舞台にパトカーが現れる。
- 舞台上でバイクのスタントマンがセットの上を空中走行する。
- 舞台の上でたくさんの花火が登場する など。
番組誕生当時からの人気者・加藤茶
加藤茶は、他のメンバーと絶妙なチームワークで笑いを生み出していました。
彼はいかりや長介のツッコミ役に対して、ボケ役としてコミカルな動きや台詞を繰り出すことで、テンポの良い掛け合いを展開したのです。
特にいかりや長介の厳しいツッコミに対する、加藤のマイペースなボケが絶妙なバランスを生み出し、視聴者を笑わせましたね。
その後、いかりや長介に代わって志村けんがツッコミ役になりました。
親子以上の年齢差を乗り越えて仲睦まじく生活している加藤茶さん。
夫婦仲が良い理由の1つには、おそらく夫婦間の意思の疎通が上手いのかもしれません。
ドリフのファンは加藤茶さんが長生きされることを心より願っています。
番組誕生~エピソードまで
ドリフターズと「全員集合!」の誕生
・ドリフターズの誕生
1956年に結成された音楽バンドが起源。
当初は音楽活動を中心にしていました。
しかし、メンバーが徐々にお笑いに転向し、コメディグループとしての地位を確立。
当初のメンバーは、いかりや長介、荒井注、高木ブー、仲本工事、加藤茶。
荒井注が高齢のため、途中で引退し、代わりに付き人だった「志村けん」が加入。
志村けんは、知名度が無かったため、自分のPRのため、オリジナルのコントなどを披露し、加藤茶とのタッグを組んだコントで人気を博す。
1969年にスタートした「8時だョ!全員集合」
ご存知の通り、TBSでの放送でした。
ドリフのコントや音楽パフォーマンスが組み合わさったバラエティ番組でした。
番組の特徴は、毎回、生放送で行われたこと。
ドリフのメンバーが会場に来ている視聴者に声を掛けて、それに対する反応を求めたりしたところは、台本には無い、アドリブ100%のコントでした。
瞬く間に国民的人気を得て、約20年間にわたる長寿番組となったのです!
番組のハプニング
現在、生放送の番組というと、8月の「24Hテレビ」(日本テレビ)か、年末の「紅白歌合戦」(NHK)くらいです。
ただ、昭和50年代の半ばぐらいまでは、他にも生放送の番組はありました。
例えば、「ザ・ベストテン」(TBS)や他局の歌番組も生放送でした。
さらに遡れば、「ムー一族」(TBS)も基本は収録ですが、時々、生放送の回が織り込まれていました。
生放送だと、次のようなハプニングがあったのです。
- 突如、停電が起き、会場が数分程度真っ暗になった。
- ボヤ(ちょっとした火事)があった。
- 動物を登場させるコントでは、指導通り、動物が動いてくれなかった。
ハプニングが起きてもメンバーには、それを笑いに変えるユーモアがありました。
ハプニングをクレームにすることなく、視聴率アップに繋げることが多かったのも番組が長期に渡って支持されてきた証拠です。
「8時だよ全員集合」傑作選の視聴者の評価
特集として組まれた「8時だよ全員集合」の視聴者からは、このような声がありました。
・家族揃って大笑いした・・・ 😊×831
・第1回目から再放送すれば、視聴率が取れるのでは・・・ 😊×1.9万
・我が家の6歳息子も手を叩きながら大笑いしてた・・・ 😊×3,923
・懐かしい気持ちだけでなく声出して笑ってしまいました・・・ 😊×474
・ドンピシャ世代から見れば、半世紀経った今でも人気が衰えないのは凄いと思う 😊×2,225
まとめ ドリフと言えば、8時だよ全員集合!
ドリフを知らない世代も受け入れられる「8時だよ全員集合」。
その火付け役だった加藤茶。
これからも国民に対して大いに盛り上げてください!
最後に、
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