志村けんがドリフターズに加入した背景や、その後のコメディ界への影響を振り返ります。
彼らのユーモアが日本の文化に与えた影響や、社会問題をテーマにしたコントの重要性も解説します。
ドリフターズの歴史や魅力、今も色あせない存在感に迫り、その功績をしっかりと振り返ります。
志村けんのドリフターズ加入
ドリフへの加入時期
志村けんさんはドリフターズ加入前から付き人として活動しました。
当時はザ・ドリフターズのリーダーのいかりや長介さんに師事していました。
志村けんさんは何度もオーディションを受けていました。
しかし、不合格ばかりが続いていました。
そのようなこともあり、いかりや長介さんの下で経験を積み、カバン持ちなどもしながら、コメディアンとしての腕を磨きました。
当時、志村けんさんが吸収した笑いのセンスや、いかりやさんの厳しい指導が、のちのドリフターズ時代や彼自身の独自のバラエティスタイルに大きく影響を与えたのです。
志村けんさんがドリフターズに加入したきっかけは、当時のメンバー荒井注さんの脱退によるものです。
加入当時のメンバー
ドリフターズは5人で活動してきました。
彼らのコントは、身体を張ったものが多いので、1人欠けるとコントのカラーや彼らのマンパワーも変わってきます。
やはり、1人の補充はやむを得ないことでした。
また、志村けんが加入した当時、ドリフターズは既に日本のお笑い界で圧倒的な人気を誇っていました。
荒井注さんは、独特なテンポ感とシュールな笑いで知られていました。
ドリフターズの中でもひときわ異彩を放っていたのです。
また、ドリフというお笑いグループのイメージの中で、荒井注さんのキャラクターはメンバー5人のうち、1人どころか、それ以上の人数分のイメージがありました。
いかりや長介、荒井注、加藤茶の3人でもって、お笑いの顔をつくっていたかのようでした。
ドリフの歴史と志村けんの大活躍
「8時だョ!全員集合」への出演
ちなみに、当時のドリフターズのメンバーの役割は、次の通りでした。
彼ら4人の中に入り、志村けんさんは、ボケ役に徹するべきか、ツッコミ役で注目すべきか、最初は戸惑いがありました。
その棲み分けは、志村けんさんが披露した持ちネタや彼の大げさなリアクションによって決まりました。
彼は、「東村山音頭」や「ひげダンス」など披露し、お客さんの反応を見て、ボケとツッコミを使い分けていったのです。
志村けんが生んだ名キャラクター
- ひげダンス
- アイーン
- バカ殿様
- 変なおじさん
- 変なおばさん
- バカ兄弟
- ひとみ婆さん など
ドリフターズでの存在感
志村けんさんがドリフターズのメンバーになってからの黄金期は、1970年代後半~1980年代です。
それは、志村けんさんの活躍により、彼の存在感が大きくなった時期でした。
当時の他のメンバーとは異なる斬新なギャグセンスを持っていたことが、黄金期を迎えるきっかけになりました。
いかりや長介さんの厳しいツッコミと、志村けんさんの明るくて軽快なボケは、視聴者にとっては新鮮だったね。
1970年代後半~1980年代前半は、視聴率 50%超えの時がありました。
(最高視聴率は1973年12月29日に記録した50.5%)
これだけの高い資料率は、バラエティー番組においては類を見ないほどです。
ドリフの他メンバーとの絆
志村けんさんといかりや長介さん、志村けんさんとと加藤茶さんと、この2人との役割分担は、グループの中で活動していくうちに自然と出来上がっていきました。
志村けんさんは、高木ブーさんとは、ブーさんがゆったりとしてキャラクターだったことから、志村けんさんがツッコミ役になりました。
「雷様」のコントでは、高木ブーさんのぼんやりとした演技に対し、志村さんがツッコミを入れることで独特な笑いの雰囲気を作り出したのです。
仲本工事さんに対しても、仲本さんが真面目なキャラクターだっただけに、志村さんはツッコミ役に徹しました。
志村けんのコメディの貢献度
志村けんさんが加入したことでのドリフターズに与えた影響には、このようなものがあります。
1.笑いのスタイルの革新
彼のギャグは、独特なキャラクターが取り入れられています。
それは、従来のコントの枠を超えた新しいスタイルでした。
2.ジェネレーションを超えた笑い
志村けんさんのコメディは、老若男女に愛されるもので、家族全員が楽しめる内容でした。
3.社会的なメッセージの発信
彼は、時には社会問題をテーマにしたコントも行っていました。
例えば、家族間のコミュニケーションや世代間のギャップをテーマにしたコントです。
単に笑うだけでなく、社会へのメッセージも含まれていたため、深く響くものがあった筈です。
4.現代のコメディへの影響
現在のコメディ界にも志村けんさんの影響は顕著です。
なぜなら、彼のスタイルやアプローチを参考にする若手コメディアンが多くいるからです。
5.志村けんの遺産
志村けんさんの死後も彼のコメディは色あせることがありません。
彼の作品は、今後も日本のコメディ文化の重要な一部として愛され続けるでしょう。
まとめ 志村けんのドリフターズ加入はいつ?
- 志村けんのドリフターズへの加入は1974年で、荒井注の脱退の後。
- 志村けんは、ドリフターズの加入前は、彼らの付き人だった。
- ドリフにおける志村けんの立ち位置は、彼の個性的なギャグやコントで明確になった。
- 志村けんのコメディは、斬新で、社会を風刺したものが多く、世代を超え、また、時代を超えて後世に残っていく。
ドリフターズに関しては、「ドリフの「8時だよ全員集合」と加藤茶は今も愛されている」というタイトルの記事で、加藤茶の魅力もお伝えしています。
興味のある方は、こちらの記事もご覧ください。
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