橋本梨菜は小学校から大学まで長きに渡り、将来のグラビアアイドルの仕事に繋がっていく芸術・芸能活動を行ってきました。
それはミュージカルに始まり、音楽ユニットの結成、グラビアコンテストでの準優勝へと続いていきます。
その背景には、家庭環境、生活圏および本人の努力があるようです。
- 橋本梨菜の小学校、中学校、高校および大学について
- 芸能界と関わることになる芸術・芸能活動の流れ
- 生年月日 1993年9月13日
- 出 身 大阪府枚方市
- 身 長 159cm
- 血液型 A型
- 家族構成 両親、兄(4歳年上)、弟(3歳年下)
- 職 業 グラビアアイドル
- 所属事務所 リップ
- 趣 味 旅行、外食(主に焼き肉) など
参考までに、橋本梨菜の子役に関することは、「橋本梨菜の子役としての活動がグラビアアイドルに繋がるまでの軌跡!」というタイトルの記事にて解説しています。
興味のある方は、こちらの記事もご覧ください。
橋本梨菜の小学校時代
橋本梨菜の実家は自然に囲まれた環境—最寄りは津田駅
橋本さん(りーりー)が誕生した1993年の前後、枚方市では京阪電鉄沿線の開発や駅周辺の再整備が進みました。
それによって、りーりーの実家の周辺では住宅地や商業施設が建ち並び始めました。
彼女が生まれ育った枚方市の東方には小高い山があります。
その中でも彼女の実家は郊外で、JR学研都市線の津田駅が最寄り駅です。
市内の津田地区や長尾地区と呼ばれている地域は、人口が増加していったエリアになります。
橋本梨菜が通った枚方市立津田南小学校
りーりーが通った小学校は、枚方市立津田南小学校です。
小学校の周辺には田んぼがあり、長閑な風景が見られます。
一方で、駅周辺は住宅のほか、飲食店、ドラッグストアなど商業施設があり、鉄道を利用する人たちのための道路も整備された街です。
橋本梨菜は小学生で地元の劇団「枚方こどもミュージカル」に出演
彼女は7歳の頃から地元の劇団「枚方こどもミュージカル」に在籍しました。
- 劇団員は、小学生~中学生までで、約100人近くが在籍。
- 定期的に公演を行い、それに向けた練習に彼女含む劇団員全員が取り組んでいました。
- 夏休みに小学生だけのミュージカルに参加したりーりーは、歌に踊りに夢中になり、人前で披露することの楽しさを覚えました。
近鉄バファローズのCMオーディションに合格
小学校3年生の時、オリックスバッファローズの前身の「近鉄バファローズ」のファンクラブのCMオーディションを受け、合格しました。
その時の特典として、近鉄バファローズのホームグラウンドの年間パスをもらっていました。
ちなみに、彼女が子供の頃、両親は厳しかったので、ごく普通の小学生でした。
橋本梨菜は小学校卒業後は中学生で音楽ユニットを結成
津田中学出身の主なOB、OGには、
- 坪倉唯子(B.B.クィーンズ)
- 酒井光次郎(元 日本ハム、阪神タイガースのプロ野球選手)
などがいます。
中学生の頃のコギャル風ファッションとアイドル活動
中学生になると、りーりーは少し大人びてきました。
そのせいか、コギャルっぽい身なり・恰好をしていました。
それは、制服を少し手直ししたり、眉毛を手入れしたり などしていたのです。
しかしながら、どちらかと言えば厳格な両親のもとで育てられたりーりーは、学校生活を乱すようなことはしませんでした。
関西を拠点に活動したユニット「SKETCH」
中学時代はダンススクールに通っていました。
その縁で、中学3年生の時、キッドカンパニーによって、島村 麻由、橋本 梨菜、渡辺 菜月、佐波 美乃吏の4人による「SKETCH」というるユニットを組みました。
このユニットは、関西中心に活動することになっていました。
当時、りーりーは中学生でしたが、メンバーの中には高校生もいました。
「なにわのブラックダイヤモンド」というニックネームは、この頃付けられます。
SKETCHIに在籍していた当時の橋本梨菜のニックネームは、「なにわのブラックダイヤモンド」
リーリーと言えば「なにわのブラックダイヤモンド」橋本梨菜ちゃんがSKETCH(大阪のダンスアイドルユニット)だった時代のニックネームですね!
— れんち💐:*. (@renchi_empire) February 19, 2023
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橋本梨菜の高校時代と芸能への本格的な挑戦
大阪府立長尾高等学校での学び
大阪府立長尾高等学校
長尾高校は1973年開校。
枚方市内の北東部に位置しており、彼女にとっての通学は、距離的には楽だったことでしょう。
ちなみに、1998年から服装は自由化を採用しています。
長尾高校の主なOB、OGには、
- 坪倉唯子(B.B.クィーンズ)
- デッカチャン(お笑いタレント)
- 吉村萬壱 – 作家(芥川賞)
などがいます。
高校3年間もSKETCHの活動は続けていきました。
橋本梨菜の大学時代とグラビアアイドルへの転身
橋本梨菜の大学での経営学部の学び
大学は追手門学院大学 経営学部 経済学科 経済学科(茨木安威キャンパス)に進みます。
経営学を専攻しようと考えたあたりは、もしかすると、父親のビジネスの影響を受けていたからかもしれません。
通学は自分の車でベンツのAクラスでした。
彼女の家のある枚方市は大阪府内の北東部、大学のある茨木市は北西部なので、車で結構な距離を走ったことになります。
橋本梨菜の大学生活と「SKETCH」の解散
ところが、ユニット(SKETCHI)は、橋本が大学3年の時に解散してしまいます。
その理由は、将来を考えた時、ユニットを継続するだけの価値が見いだせなかったというメンバーの意見によるものです。
「2つ年上のメンバーが大学卒業を見据えて、「このまま売れないなら就職したい」と。続ける選択肢もありましたが、その時メンバーも3人になっていて‥‥」ということで、その子が抜けると2人だけになるので、解散した。
ちなみに、インタビューで当時の月収を訊かれ、彼女は以下のように答えていました。
「う~ん、高校生のバイトに比べたらよかったと思いますが」
「汐留グラビア甲子園」での準優勝と大学中退の決断
SKETCHIが解散になった年の2014年(大学4年の22歳の時)に、「汐留グラビア甲子園」に参加します。
その結果、見事に準優勝を勝ち取りました。
これを機にりーりーの運命が大きく変わっていくのです。
この時の副賞として、彼女自身としては初のDVD作品『フェアリーナ』がイーネット・フロンティアより発売されたのです。
橋本梨菜のグラビアアイドルとしての成功と東京進出
アイドルユニット「sherbet」の結成と上京
「汐留グラビア甲子園」で準優勝になったことで、同年8月に青山ひかる、(当時同じ事務所に所属の)犬童美乃梨らとアイドルユニット「sherbet」を結成しました。
そのため、活動を継続するために上京しなければならなくなってしまいました。
やむを得ず、大学を4年の途中で中退することになったのです。
上京すると、同じグラビアアイドルの森咲智美と同居生活を始めました。(2016~2018年)
こうして、橋本梨菜はグラビアアイドルとして世間の注目を浴びるようになっていくのでした。
まとめ 橋本梨菜の小学校から最終学歴までと芸能活動の始まり
- 橋本梨菜は枚方市内のJR津田駅を最寄り駅とするエリアに生まれ育った。
- 橋本梨菜は津田南小学校に入学し、地元の「枚方こどもミュージカル」のメンバーになって歌や踊りの楽しさを知った。
- それを皮切りに中学では4人のユニット(SKETCH)を組み、彼女のアイドル活動が始まった。
- その頃、「なにわのブラックダイヤモンド」というニックネームが付けられる。
- 大学は追手門学院大学 経営学部に進学し、学業の傍ら、グラビアの活動が始まる。
- その結果、「汐留グラビア甲子園」で準優勝を勝ち取り、それを機に上京する。
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