
趣里さんの小学校から大学までの教育方針とは?
どのような教育を受けて芸能界に辿り着いたのか、デビューまでの経緯も含めて深掘りします。
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趣里の小学校から大学までの教育方針とは?

彼女の受けてきた学校教育を語るに当たっては、その前に、彼女の名前の由来を知っておいて頂きたいと思います。
両親が思いが込められた「趣里という名前」、両親の「十分過ぎる愛情」、それに加えて「しっかりした学校教育」の3つが揃って女優・趣里が誕生しました。
両親の愛情については言うまでもないことですが、名前に関しては、「趣里という名前の由来」というテーマでまとめた記事があります。
よろしければ、こちらの記事をご覧ください。

小学校での学校生活と習い事
彼女の実家は、東京都調布市内という情報があります。
調布市内には、私立の小・中・高一貫の学校で、芸能人、政治家、著名人など多く輩出した桐朋学園があります。
その中に、桐朋小学校がありますが、彼女はそこに通っていたのでは・・・と言う説があります。
外国語教育を積極的に取り入れていることでも知られています。
間違いやすいのですが、桐朋学園には男子部門と女子部門があり、小学校はいずれも男女共学。
ただし、男子部門の桐朋学園小学校は国立市内、桐朋小学校は調布市内にあります。
小学校時代の思い出やエピソードについては、特に語られた情報がありません。
しかし、しっかりした教育方針が打ち立てられており、
- 基礎学力を充実する
- 心身を鍛える
- 情操を培う
を掲げている学園です。
そのため、彼女もこの充実した教育カリキュラムのもとで学んだと思われます。
プライベートでは、4歳から始め、6歳で初舞台に立ちました。
さらに、小学5年生の時に「くるみ割り人形」の主役・クララを演じて、より一層バレエに打ち込むようになりました。

学校教育の特徴とバレエに打ち込んだ中学3年間
桐朋小学校に通っていたとすると、中学校は桐朋女子中学校になります。
学校の教育方針は、小学校と変わりありません。
主要科目は少人数制の授業が行われ、外国語の授業では外国人講師を招くなど、全体の学力を底上げする教育が行われています。
幼少期から始めたバレエは中学でも3年間続け、バレエの腕を磨きました。
志半ばでバレエ学校を退学した高校時代
高校はイギリスのバレエ学校にバレエ留学しました。
しかし、アキレス腱の断裂や足首の剥離骨折を発生させてしまいました。
その結果、その症状がバレエを続けるには重症だったため、ドクターストップがかかってしまったのです。
医師から「以前のように踊ることは難しい」と宣告され、とりあえず、治療のために帰国しました。
しかし、最終的にはバレエ学校を中退せざるを得なくなりました。
ただ、この留学での収穫の1つに、英語力の向上がありました。
そのため、彼女の特技は、今でも「英語」です。

バレエ留学を通して、バレエの技術と見識を広め、さらには英語力を身に付けたことが、結果として高校での教育方針になりました。
演技レッスンと芸能活動を開始した大学時代
日本に帰国後、リハビリに励みますが、思うように踊ることができず、バレエを断念します。
バレエ学校の退学に伴い、高等学校卒業程度認定試験大学入学の資格を得て、19歳の時に明治学院大学 文学部芸術学科に入学します。
大学生活は、アルバイトをする傍ら、演技学校の「アクターズクリニック」に通い始めます。
その学校は、週3回のレッスンでしたが、実演型の演技の学び、役づくりをイメージするための詳細なまとめノートを提出したりして、実践的なことを学びました。
そこでの指導はハードでしたが、彼女は演じることに魅力を感じ、背中を押され、女優を目指すようになりました。
こうして、現在の女優・趣里がいる訳ですが、これから女優としてさらにキャリアを積み、魅力ある女性になるためには、恋の1つもできなければなりませんよね。
そこで、「趣里の結婚観と理想のタイプ」と題してまとめた記事を用意しました。

芸能界デビューの経緯を深掘り!
21歳の時、「3年B組金八先生ファイナル〜「最後の贈る言葉」4時間SP」(TBS)のオーディションに合格し、女優デビューしました。

まとめ 趣里の小学校から大学までの教育方針とは?
- 小、中学校は地元も私立小学校に通っていたと思われる。
- そのため、「基礎学力」、「心身の鍛錬」、「情操を養う」の教育方針のもと、英才教育を受けてきた。
- プライベートでは幼少期からバレエを習い、小学生の時、主役を演じた。
- 高校入学のタイミングでイギリスのバレエ学校に留学。
- 留学中に致命的なケガをして、バレエを断念。
- 帰国後、明治学院大学に入学し、女優を目指すきっかけを掴む。
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