仲野太賀の父・中野英雄が哀川翔の付き人になった理由は、お互いが暴走族時代、敵対関係にあったことに起因しています
2人は喧嘩することでお互いを認め合うことができ、信頼関係を築くことができた訳です
それは一見、子供っぽいやり方かもしれませんが、しかし、そこには深いエピソードが潜んでいたのです
- 仲野太賀の父・中野英雄と哀川翔の暴走族時代の初対面と喧嘩について
- 喧嘩後の2人の関係の変化
- 哀川翔が暴走族をやめた後、芸能界でデビューするまでの経緯
- 中野英雄が哀川翔の付き人になった理由・背景
- 哀川翔の付き人になって、経験したこと、学んだこと
- 中野英雄にとっての哀川翔
名 前 :中野英雄(なかの ひでお)
生年月日:1964年12月22日
年 齢 :59歳
身 長 :170cm
出 身 :京都府京都市左京区(幼少期に東京へ引っ越し)
職 業 :俳優、映画プロデューサー、アパレルブランドプロデューサー
仲野太賀さんは、中野英雄さんの次男
仲野太賀の父・中野英雄の暴走族時代(哀川翔の付き人になる前)
中野英雄の若い頃と暴走族での活動
二十代前後の若い時は、かなり荒れていた青年でした
暴走族(通称 族)に入っていました
そのため、多くの喧嘩やトラブルを巻き込んだか、巻き込まれたかは、いろいろあると思いますが、生活は乱れていました
ただ、この頃の人生経験は、その後の彼を精神的に強くしていったようです
中野英雄と哀川翔との敵対関係
中野英雄さんが(暴走)族に入っていた頃、敵対視していたのは哀川翔さん
哀川翔さんの簡単なプロフィールは、次の通りです
- 名 前 :哀川翔(あいかわ しょう)
- 生年月日:1961年5月24日
- 年 齢 :63歳
- 身 長 :178cm
- 出 身 :鹿児島県鹿屋市(出生は、徳島県徳島市)
中野さんと哀川さんは、(お互い誕生日を迎えた時点では)3歳差ということになります
結論を申し上げると、中野さんは(暴走)族をやめた後、哀川さんの付き人になります
その経緯ですが、簡単に言うと、哀川さんと中野さんは共に暴走族(通称 族)だった時に出会い、お互い敵対視していたとこから始まります
哀川さんが、(暴走)族に入ったきっかけは、少年時代を過ごした鹿屋市内での彼を取り巻く環境が関係していたようだ
それでも、哀川さんは、高校卒業後は東京の大学へ進学する予定だったのよね
ちょっとした手違いで東京の専門学校へ行くことになったんですって!
中野英雄の哀川翔との初対面と喧嘩
仲野太賀の父・中野英雄が初対面で感じた哀川翔との喧嘩の空気
険悪な雰囲気になったのは、暴走族時代のこと(もともと敵対する関係にあった2人)
中野さんいはく、
哀川さんとの対立は避けられないと感じ、戦いの姿勢を取った
しかし、最終的には哀川さんに頭突きのカウンターをくらってしまった
哀川さんは、一般人の私から見ると、「俺は無敵だ」的な空気を漂わせている人です
しかし、中野さんも簡単には引き下がらないタイプだったんですね!
2人とも男らしくて、魅力的💞
仲野太賀の父・中野英雄が取った喧嘩後の哀川翔への対応
中野英雄さんは、腕ずくで哀川翔さんとぶつかり、やっつけてやろうと喧嘩しました
しかし、負けました
喧嘩をしたことで、中野英雄さんは哀川翔さんの実力を認めたのです
また、彼の人間性に敬意を表するようになりました
こうして、(暴走)族の頃に、中野さんは哀川さんに屈伏します
このあたりが、2人の関係性が変わってきた一つの分岐点でした
また、中野さんが哀川翔さんの人柄に惹かれたことが、後に、付き人になるきっかけになります
「コノヤロー!」
「なんだ、そっちこそ!」
「やる気か?」
「俺は許さねぇ!」
しかし、その後、哀川さんは(暴走)族をやめます
さらに、いくつかのステップを経て、パフォーマンス集団に入ります
中野さんが、哀川さんの付き人になるには、
- 中野さんが(暴走)族から外れること
- さらには、哀川さんの知名度が上がること
の2つが必須条件です
幸いにもその後の進展によって、中野さんが哀川翔さんの付き人になるチャンスが生まれます
このことから、お互いが暴走族をやめた直後から、直ぐに芸能界への道を歩むことができた訳ではありません
中野英雄が哀川翔の付き人になった理由
哀川翔の影響と芸能界でのキャリアスタート
哀川さんは、(暴走)族をやめた後、パフォーマンス集団に入ります
ただ、そこにもちょっとした紆余曲折があります
哀川さんがテレビで知られるようになるのは、「一世風靡」が注目を浴びるようになったからです
ということは、「一世風靡」は、どのような背景・経緯で結成されたのでしょうか?
その点を見ていきましょう
哀川翔さんが所属していた「一世風靡」が結成されるまで
- 哀川さんは、最初、「東京ビクトリークラブ」というグループに所属します(東京ビクトリークラブは、1950年代のアメリカのロカビリーを原点とするローラー族のこと)
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- その頃、「劇団原宿ガンジー」というグループが存在しており、この2つのグループが合わさって、「劇男零心会」(パフォーマンスをする集団)が結成されます
↓
- ところが、このグループのプロダクション側がパフォーマンス活動に否定的だったため、「劇男零心会」は、『零心会』と『非・零心会』(←哀川さんは、このグループ)に分離
↓
- その後、『非・零心会』は、「劇男一世風靡」に名前を変えます(変更の理由は、メンバーが増えてきたことにより、活動内容やグループの志向が変わってきたため)
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- 「劇男一世風靡」の中からメンバーを絞った形で、「一世風靡セピア」が結成されます(劇男一世風靡は、メンバー多く、劇団の要素が強かった)
「一世風靡セピア」が結成された後、1984年に「今、我に正直に生きてみたい」でポスターデビュー
その後、「前略、道の上より」でレコード・デビューします
哀川翔と中野英雄の師弟関係
仲野太賀の父・中野英雄の付き人として経験と学び
中野さんは、哀川さんから「劇男一世風靡に入らないか」と、誘われます
その後、「一世風靡セピア」が結成され、デビューとともにデビュー曲が注目を浴びると、当然、メンバーは忙しくなりました
さらに、仕事のマネジメントも必要になってきたのです
そのような時、中野さんは哀川さんの後ろ姿を見てきて、芸能界に興味を持つようになりました
哀川さんは同じ(暴走)族の出身で、共通した経歴を持っている人
だから、彼の付き人になって、仕事をサポートしようと考え始めます
もしかすると、「自分もメディアの前に出る機会が得られるかもしれない」と思ったかもしれません
付き人として一緒に行動する中で、芸能界のことを少しずつ学び、キャリアを積んでいくのです
中野英雄の芸能界でのキャリアにおける哀川翔の影響
中野さんは、付き人として働く中で、具体的にはこのようなことを学びました
- 芸能界の内情や業界内での礼儀・マナー
- 哀川さんの人間関係を通しての人脈づくり
- 哀川さんによる演技指導
- メディアに対する自己表現(PRやプロモーションを含む) など
「付き人になることで、芸能界もしくは芸能に関して得たノウハウは、哀川さんのそばにいなければ、決して身に付けることのできなかったものです」
中野さんによる、当時の振り返りより
仲野太賀への影響と現在の活動
仲野太賀が語る父・中野英雄と哀川翔の影響
仲野太賀さんにとって、父親である中野英雄さんは、
父親としては、時に厳しいものの、愛情深い存在
俳優の先輩としては、プロフェッショナルな姿勢・心構えや、演技に対する真剣さの手本雛型的な存在
といったふうに捉えているようです
この点からも、哀川さんが中野さんの面倒を見てきたように、中野さんは息子の太賀さんを同じように捉えているところが過去からのインタビューなどで見受けられます
仲野太賀の父である中野英雄と哀川翔の現在の関係
父・中野英雄と哀川翔の現在の友情と協力関係
中野さんが哀川さんとの険悪な関係(敵対視)を解消し、哀川さんの弟子という間柄になった時から、2人はお互いに友情を築き、強力し合える関係になっていきました
その関係は、今も変わりません
だから、仲野太賀さんにとって、哀川翔さんは、親しい叔父のような存在と言えるでしょう
中野英雄と哀川翔の今後の共演やプロジェクトの可能性
中野英雄さんと哀川翔さんの2000年以降の共演作品は、ドラマ、映画とも見当たりませんでした
しかし、今後、仲野太賀さんが芸能界で数々の経験を積んでいく中で、太賀さんが哀川さんと共演することは十分あり得ることです(だけど、中野さんと太賀さんの親子共演はどうかな⁉)
仲野太賀が父・中野英雄から学ぶこと
仲野太賀の芸能界での成功の秘訣
中野さんは息子の太賀さんを溺愛していると言われています
そのため、芸能界の仕事絡みの親子の話は表に現れることはないかもしれません
太賀さん自身、父である中野英雄の過去の作品は見たことがないと仰っています
それでも、中野英雄の人脈をもとに、父の芸能活動の情報・ノウハウなどを仕入れているかもしれません
親子共々、演技力に共通したものが見受けられるとすれば、太賀さんが父・英雄さんから何らかの秘訣を受け継いでいることになるでしょう
まとめ 仲野太賀の父・中野英雄が哀川翔の付き人になった訳
- 仲野太賀の父・中野英雄が哀川翔の付き人になったのは、暴走族時代に喧嘩して負けた後、彼の人間性に惹かれた部分があったため
- 哀川翔は、暴走族をやめた後、パフォーマンスを行う劇団集団に加入し、その後、紆余曲折を経て、一世風靡に加入し、注目を浴びた
- 一世風靡の活躍によって、中野英雄は哀川翔の付き人になった
- 父である中野英雄にとって、哀川翔は芸能界の師匠的存在であり、彼から礼儀、演技などを学ばなければ、中野英雄のデビューはなかったと言える
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