
渡辺直美さんのお母さんは、日本語がほとんど理解できな中で、直美さんを女一つで育ててきました。
お母さんは、破天荒で自由奔放、愛情深くてポジティブ思考な人だと言われています。
そのお母さんの子育ては、一体どのような感じだったのでしょうか?
お母さんに関するエピソードを詳しく解説していきます。
渡辺直美の母は台湾生まれ
日本で生活を始めた台湾生まれの母

渡辺直美さんのお母さんは台湾出身です。
日本語が分からないまま日本人と結婚し、日本での生活を始めました。
ちなみに、直美さんのお母さんの親族は、今も台湾で生活しています。
お母さんは、このような感じの人です。(公開情報は少ないですが、直美さんの過去のコメントをもとにまとめています)
- 日本が好き(台湾も決して嫌いではない)
- 分かれた夫との出会いのきっかけは、日本人の商社か、台湾と関わりのある仕事をしていた元夫が出張で台湾に出向いた時、知り合い、恋に落ちたと言われている。
- 別れた夫は、関西人だった可能性あり。
- お母さんは離婚してからは、日本語が分からないまま、女1人で直美さんを日本で育てることにした。
- お母さんは、母一人で娘を育てたという点では、環境への順応性・適応性がある。

直美さんのお母さん

渡辺直美さん
娘のことを「テメェ」と呼ぶ母
渡辺直美さん本人もお母さんに確認したことがないようですが、このようなことが考えられます。
- 別れた夫との間でも「テメェ」という言葉を使っていたし、元夫と一緒にいた時、「テメェ」という言葉が馴染む環境だった。
- 直美さんのお母さんが育った環境の中に、言葉遣いを正す習慣がなく、悪気はないものの、日本で暮らし始めてもその点を変えなかった。(元夫は、お母さんの言葉遣いの悪さを気にしていた⁉)
- 娘への愛情が深いゆえに、インパクトある呼び方で、娘の気を惹くため(絆を切らさないため、愛情表現のため)に他人の目を気にせず、常に「テメェ」と呼んだ⁉
破天荒で自由奔放だが、愛情深くてポジティブな母
大胆で自由な母
お母さんには、このようなところがあるそうです。


奇抜で破天荒(何を考えているか、分かりにくい)

LINEの自分の名前は、「俺」!

髪を短くして、さらに坊主にする



お母さんはパチンコで生計を立てていたとか・・・
渡辺直美さんのお母さんは、一見、「変わった人」と受け取られやすい言動を取ってきました。
しかし、直美さんの目には、それがおもしろく、おかしかったのでしょう。
現在の直美さんは、お母さんのユニークで自由奔放なところを受け継いでいる感じがします。
愛情深い母
⭐食で娘との絆を深めた

お腹が空くとお母さんは食べ物をつくってくれたわ。


- 直美さんが「お腹減った」というと、ボリューム感あるものを作ってくれました。
⭐お母さんの直美さんへの接し方は、時として厳しかった

不良グループに入ったりしないか、心配していたわ。

関わっていないか
- 不良の道(ヤンキーなど)へ逸れることを心配して、直美さんがちょっとでもいかがわしい行動を取っていると、お母さんは疑ってかかった。
お母さんは、自分自身に破天荒な一面があったことを自覚していたようです。
それでも、娘の渡辺直美さんに対しては正当な人生を歩んでほしかったのだと思います。
お母さんの行動には娘に対する深い愛情が常に見られました。
我自己也有特立獨行的一面,但我希望 直美 有合法的生活
(破天荒だったかもしれないけど、直美にはまともな人生を生きてほしいと思っていた)

貧しさを克服する母
お母さんは、娘を自分一人で育てていくために、
- 仕事を掛け持ちしていた。
- 生活が苦しい時は、電気が止められたことがあり、ロウソクを使って生活した⁉・・・。
- お母さん自身、日本語が分からないので、直美さんの日本語習得は、本人任せ。(直美さんは、18歳で芸能界デビューした当時でも、日本語が堪能ではなかった)
娘との絆を大切にする母
お母さんには、何とかして直美さんを一人前の人間に育てたいという切なる思いがあったようです。(親としては、当たり前ですが・・・)
- 参観会の時、勉強が苦手だった直美さんがしどろもどろしていると、「一生懸命にやれ!」とお母さんは葉っぱをかけたそうです。

ポジティブ思考の母
直美さんのお母さんは、ポジティブ思考です。
我不知道我是否有足夠的紀律、總之, 我很擔心 直美
(十分な躾ができたかどうかは分からないけど、
とにかく、直美のことは心配だったわ)
- 直美さんのことを「テメェ」と呼ぶ点は、表面的には荒っぽい気性と思われたかもしれません。しかし、直美さんに強い自己肯定感を植え付けることになりました。
- お母さんが苦境にめげず、挑戦し続ける姿勢を持ち続けたことは、直美さんが芸能界で辛抱強く活動を続けるためのメンタルの鏡となりました。
- お母さんの破天荒な行動や自由奔放な考え方は、直美さんの創造力を刺激し、彼女が芸能界において開花する一助となりました。
- 常に直美さんのことを心配していたことは、娘との絆を深める要因になりました。
我只是活了一輩子
(私は、ただ、一生懸命に生きてきただけよ)
デビュー後の親子関係
娘の芸能界入りを反対し、直美さんがNSCに入ることを反対していました。
しかし、今となっては、その気持ちは変わってきているようです。
- 娘に対する心配は減り、娘のことを誇りに思うことが多くなった。
- 直美さんのことを最大限に応援しようという意思があります。
- 娘とのコミュニケーションを取り、より一層、娘の健康面などを気にかけています。
據說 直美 出現在電視上時喜極而泣,但這個故事是不是有點誇張?
(直美がテレビに出た時、嬉しくって涙を流したと言われているけど、少し話が盛られていない?)
但我支持你・・・
(でも、応援しているから・・・)
まとめ 渡辺直美の母は台湾生まれ
- お母さんは、破天荒なところがある人。
- 直美さんのことを「テメェ」と呼んできたが、呼ぶ理由には意図的な部分もある。
- 直美さんを育てていく中で、生活が苦しい時には電気が止まるなど、エピソードがある。
- 直美さんが横道に逸れないか、常に心配していた。
- お母さんが取ってきた言動には、直美さんが芸能界で活動するために必要なユーモアや独創性を育むものがあった。(直美さんにとっては、プラスの要素となった)
- 直美さんが(NSC)芸能界に入ることには反対していた。
直美さんは、幼少の頃から経済面だけでなく、言葉の面でも決して恵まれていた環境ではなかったです。
しかし、持ち前の明るさで大人になり、自分にできることを伸ばすべく、社会を切り開いてきた姿には「リスペクト」の言葉しかありません。
参考までに、渡辺直美さんのプロフィールは、次の通りです。
- 名 前 渡邊直美(わたなべ なおみ)
- 生年月日 1987年10月23日
- 出生地 台湾・台北県板橋市(現 新北市板橋区)
- 出身地 茨城県石岡市(日本と台湾を行き来する)
- 身 長 158cm
- 最終学歴 石岡市立石岡中学校
- 芸能界へのきっかけはNSC(彼女と同じ東京校12期生は神宮寺勇太のぺこぱ、ジャングルポケット)
- 事務所 吉本興業



コメント