やす子さんの活躍は、幼少期からの苦労無くしてはあり得ません
それは、彼女の母が離婚し、母子家庭になった時から始まりました
やす子さんが児童養護施設に入った理由も、元を辿ればそこに行き着きます
そのため、明るい性格さからは想像できない彼女の半生をお伝えします
- 母子家庭におけるやす子さんの小・中・高校時代の暮らしぶり
- やす子さんが児童養護施設に入った理由
- 児童福祉法による母子家庭に対する支援内容
- やす子さんの児童養護施設での生活のスタートとその後の人生の過程
- 自衛隊への就職と退社、芸人としてのスタート
- お母さんとの再会
やす子さんのプロフィールは、こちら
#こどもの日
— やす子 (@yasuko_sma) May 5, 2023
子供の時も大人の時も楽しいなあ🎵 pic.twitter.com/Ea00iHIa0B
やす子さんの母の離婚とその影響
母の離婚による母子家庭の生活のスタート
やす子さんが2歳の時、お母さんは離婚されました
- 2歳の時、お母さんが離婚したが、自分にお父さんがいることは知らされていなかった
- お母さんが毎日仕事を終えるまで、ほぼ一人ぼっちで過ごした
- そのため、長い間、寂しい思いをしてきた
- しかし、母子家庭は自分の家の事情なので、学校では努めて明るく振舞ってきた
- しかし、母子家庭の「寂しい」感情と、学校で「明るく振舞う」思いは、彼女にとって、真逆なことだった
- 寂しさと、明るく振舞うことは、小学生までのやす子にとって忍耐を必要とした
ネプリーグで私の卒アルが出ましたわ〜😆小学校の時のです! pic.twitter.com/kQ15P1WZ1W
— やす子 (@yasuko_sma) August 21, 2023
やす子さんと妹の幼少期
お留守番お願いね!
やす子さんには、幼いながらも、「妹の面倒を見なければ・・・」という思いがあったでしょう
しかし、彼女自身もいっぱいいっぱいだった筈です(妹さんとは歳が離れていないので・・・)
少なくとも、妹がいるというだけで、自分は甘えることができなくなります
しかしながら、
- 姉妹での留守番は、優しいやす子さんは妹の面倒をみようと真剣だった
- 今振り返れば、根が明るい彼女にとって、それでも楽しい留守番だった時もあったかもしれません(どちらかと言えば、お宅になりがちですけど・・・)
はぁ、もう忙しい‼
離婚した私が悪いと言えば、それまでだけど・・・
ちなみに、小学生の頃のやす子さんの将来の夢は、獣医になることでした
(犬が好きで飼っていたから、獣医だったとのこと)
やす子さんの母子家庭における貧しさとの戦い
やす子の中学時代の困難と児童養護施設に入った理由
やす子さんのお母さんは、相変わらず忙しく働いていました
しかし、経済的には苦しい状態が続いていました
周りの生徒もそうですが、やす子さんは中学生になると思春期に入ります
半分は子供だけど半分は大人みたいな感じになってきます
そのため、やす子さんは、子供ながらにも家計のことを心配するようになりました
特に、自分たちの食事のことが気になっていました
夏休みなど、長期休みの時は、やす子さん自身が安い食材の買い出しに出かけるという事態まで追い込まれてしまいました
- 中学生のように思春期の真っ只中の子供は、母子家庭でなくても、何かと気持ちは不安定になりがちです
子供の私(やす子=かのん)が、親に代わって食事のことを心配する必要があるのでしょうか?(どこに相談すれば、いいの?)
それから、お母さんが再婚に踏み切ります
すると、やす子さんは、再婚相手の父に当たる人から疎ましく思われるようになります
これが、私の運命?
ちなみに、中学生の時の将来の夢は、漫画家になることでした
(鍵っ子みたいな生活が続き、自分の世界を創作したかったのかも・・・創作活動をすることで幸せな生活を妄想をしていたかもしれません)
やす子は児童養護施設での生活に目を向け始める
やす子さんは子供ながら、「自分が親に代わって、家計のことを気にする必要があるのだろうか?」と次第に疑問を抱くようになります
それから、自分が抱いた疑問をスッキリさせるため、いろいろ調べました
そのた結果、彼女は公の機関へ相談することを思いつきます
そうだ、お母さんには内緒で一度相談してみよう!
- 居住地の自治体(市役所・区役所)の福祉課に生活の困窮に関する相談をします
- 児童福祉法に基づき、関連の地方公共団体が経済的困難に直面した母子家庭に対し、適切な支援や手続きの説明を行います
法律に基づく母子家庭への対応には、以下のような事項があります
- 生活保護
- 児童扶養手当
- 住宅支援
- 児童養護施設での未成年者の預かり
一生懸命働いていましたが、経済的な貧困から脱するためには、再婚も一つの手段でして・・・かのんたち娘には申し訳なく思っていました
やす子さんが公の機関に相談した結果、彼女だけが児童養護施設に入ることになったのです(妹さんは、おかあさんといっしょに暮らし続ける)
要するに、生活の困窮が、やす子さんの児童養護施設に入る理由に繋がったという訳です
ここに、”児童養護施設でお世話になるやす子”が誕生しました
やす子の高校時代の孤独といじめ、母親との疎遠の始まり
児童養護施設での高校生活
やす子さんの高校生活は、児童養護施設と高校との往復でした
彼女にとって、もはや母子家庭の生活は、忍耐の限界にまできていたと思われます
このままじゃ、やっていけません
私の居場所がないんです
はい~
高校時代のいじめ体験、部活動での鍛錬、オタ芸の披露
やす子さんは地元の山口県立宇部中央高等学校へ進学します
持ち前の明るさで高校生活をスタートさせたやす子さん
しかし、女子グループの中に上手く溶け込めなかったことで、高校に入って孤独を味わう出来事に遭遇します
彼女の何気ない発言が、女子たちの反感を食らうことになってしまったのです
中学の時、同級生と人間関係を築くことができなかったせいで、高校生になって周りの人たちの空気が読めなかったんです
はい~
そのため、『昼休みはいつもトイレで弁当を食べる』というルーティンを強いられてしまいます
人目に付く場所は周囲の先生や生徒の話題に上がって気まずいため、天候に左右されずに隠れて食事できるトイレで食べることにしました
(食事以外の時は、図書室や保健室ぐらいしか行く場所がなくて)
はい~
トイレでの昼ご飯と母親との疎遠
毎日トイレで弁当を食べていると、少しずつ侘しくなってきます
それでも、同級生の女子から仲間外れにされても、授業が終わって放課後になると、違う学年の人からは同級生ほど疎ましく思われることはありません
そのため、放課後は(気分転換になったかどうかは定かではありませんが)部活動の柔道部(部員2人のみ)で心身を鍛えました(ちなみに黒帯を取得)
山口県内の大会では、個人戦の57kg級で出場し、1回戦は奈古高校(2018年3月に廃校)と対戦しました
また、水泳部にも所属し、バタフライも得意です(2024年に某バラエティー番組で、峰竜太さんのご自宅のプールでバタフライを披露)
児童養護施設で食事することになって、お陰様で、体重はそこそこ確保できました
はい~
高校の文化祭ではオタ芸を披露しました
それがみんなに受けて、大盛り上がりしたというエピソードがあります
もしかすると、この頃にはピン芸人の素質が開花していたかもしれませんね
やす子さんは、ある面、度胸の据わった女性です
やはり、持ち前の明るさは失っていませんでした
一方、学校生活以外では、16~22歳の間、お母さんとは会わなくなります
やす子(かのん)が施設に入るかどうかは、最終的には本人が決めることだから・・・
高校時代の恋愛に関する記事なら、
高校を卒業した後の進路はどうする? 就職⁉
今さら、親元に帰ることはできません
大学へ行くことも難しいと言われてしまいました・・・
やす子さんは、「食事の心配は不要で、住むところが確保できるようにしたいんです」みたいな希望を伝えました
保証人が必要な仕事には就くことができませんでした
そのため、仕事を選ぶ選択肢はかなり狭くなってしまいました
その結果、住み込みができる自衛隊かパチンコ店への就職に的を絞りました
やす子の進路のことは、もう、本人任せでした
何と言っても、ずっと会っていないので・・・
やす子の自衛官としての新たな一歩
彼女が自衛官になるまでの経緯
彼女は、食事と住居に困らない、いわゆる住み込みで働くことができる自衛隊への入隊を決意します(パチンコ店は採用ならず)
食事と住居に困らないとは、高校を卒業して養護施設を出た時、アパートを借りるための保証人がいなかったため、それが不要な職業ということで自衛隊に入ったとのことです
幸いにも、柔道と水泳で鍛えた身体は、自衛隊を続ける上では有利でした
結果的に、彼女にとって、就職先の決定は消去法で決まったようなものです
それでも、決して否定的な姿勢ばかりではありませんでした
就職先の自衛隊での生活
自衛隊での生活は、
「家族のような小隊」
「自分にとって一番濃い思い出」
といった印象だったようです
なんだか、「家族って、こういうものなんだろうな」って、思いましたね
(本当の家族より楽しいじゃん・・・お母さんには悪いけど)
しかし、既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、2年が経った時、他にやりたいことがあると伝え、同僚には惜しまれながらも、突如、自衛隊を辞めてしまいます
教官の顔を見た時、ふと、
「辞めよう」と思ったんですよね
はい~
母親に相談することもなく、自分の意思で入隊した自衛隊でしたから、自分自身を信じるしかありません
やす子のピン芸人への転身
やす子が芸人の道を歩むきっかけ
やす子さんがテレビで注目を集めるようになったのは、2021年の年末大晦日「ぐるナイおもしろ荘」です
自衛隊上がりの彼女が、ひと言コメントするたびに、「はい~」と言うものでした
要するに、この「はい~」が、”落ち” みたいな感じでした
この番組で彼女は3番目に選ばれました
本人いはく、
「テレビに出演するまで、芸能人のことはほとんど知らなかった」
「テレビ出演は、最終的には自分の意思であるものの、最初、誘われたから」
芸人の道を歩むことになったきっかけは、自衛隊時代の友人に「芸人をやろうよ」的な感じで誘われ、現在の事務所に友人が応募してしまったためです
「ぐるナイおもしろ荘」では、岡村隆史さんには受けていたと思います
緊張していたので、良く覚えていませんでしたが・・・
はい~
この頃、かのんが「やす子」という芸名で活動しているなんて、思ってもいなかったわ
やす子の母親との関係の変化
芸能界デビュー後の母親との再会
あなた、ちょっと、テレビに出ていない?
やす子さんは、一時的にテレビに出演しただけのような感覚で、
それは、「人違いだと思う」
そのようにごまかしていました
しかし、嘘はつき通すことができず、結局は白状しました
なぜ、って?
地方の営業に出かけた時、目の前にお母さんがいたからです
はい~
これによって、やす子(かのん)さんとお母さんの関係は修復と言うか、元の親子の関係に一歩近づいた感じになってきました
まとめ やす子が児童養護施設に入った理由と母子家庭での苦労
- やす子さんの幼少期に母が離婚したことで母子家庭になり、中学卒業まで食に困るほど貧しい生活が続いた
- やす子さんが児童養護施設に入った理由は、自分の判断で生活困窮から抜け出るための救いを求めたからだった
- 高校ではいじめに合い、失恋も経験し、苦い思い出を作ったが、一方でオタ芸を披露して大受けしたなどの喜びもあった
- 高校卒業後は自衛隊へ入隊したが、僅か2年で辞めて、芸人の道へ進んだ
- 芸人の営業活動の中で母親と再会し、元の親子関係に戻る糸口を掴んだ
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