若葉竜也の小さい頃のエピソードを考察!育った環境や役者になった理由を解説

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小さい頃のエピソードを語っている若葉竜也
引用元:x.com

若葉竜也の小さい頃のエピソードを考察!

幼い頃から演劇の世界にいましたが、実は演技が大嫌いだった!

どのような環境で育ち、なぜ俳優業を選んだのか等、知られざる世界を紹介します。

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ちなみに、両親に関するエピソードも知りたい方のために若葉竜也の両親に関するエピソードをまとめた記事があります。

そちらの記事も併せてご覧ください。

両親に関するエピソードを語る若葉竜也
引用元:instagram

目次

若葉竜也の小さい頃のエピソードを考察!

10代の時の若葉竜也
引用元:x.com

実家は大衆演劇の劇団!生まれながらの役者

彼は大衆演劇を披露する劇団の家に生まれました。

世間一般の人にとっては、とても信じられないようなエピソードですが、

彼は物心つく前から舞台の上に立って、師匠・父の言われた通りに演技をしていました。

理解する以前に身体で演技を覚えたみたいな感じです。

彼の一番上の兄は7歳年上、二番目の兄は5歳年上で、2人とも舞台に立ち、稽古に励んでいました。

祖父も父も皆、劇団員でしたので、小さい頃はそれが当たり前だと思っていました。

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転校を繰り返した幼少期

大衆演劇は、サーカス団と同じように各地を回って演劇を披露します。

そのため、保育園、小・中学校は転校の繰り返しでした。

新しい学校に慣れたかと思うと、違う学校へ移ります。

彼が小さい頃、劇団の家に生まれて良かったことでのエピソードは、

  • 各地の美味しいものが食べられる
  • 環境への適応能力が身につく(人見知りも少ない)
  • 稽古を理由に勉強をさぼれる
  • 頭で理解せずに身体で演技を覚えた
  • 兄弟の絆が深る

などがあります。

その反面、嫌だなと思ったことは、

  • その土地の気候・風土、学校生活に慣れるのが大変
  • 友達をつくりづらい
  • 学校ではみんなが物珍しく自分のことを見る
  • 転校のたび、皆の前での挨拶が面倒くさい

といったことがありました。

このような生活環境が、10代後半から20代前半にかけての彼の役者嫌いを芽生えさせたと考察します。

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生活環境や役者になった理由

映画「葛城事件」での若葉竜也
引用元:x.com

厳しい稽古が嫌いだった!演技への葛藤

小さい頃は、演技が嫌いな少年でした。

父の厳しい指導と繰り返しのダメ出し、挙句の果てには”ごはん抜き”。

「いい芝居」っていうのが何なのかもわからずに怒られたりしていたので、いつもいら立ちみたいなものを抱えていました。「知らねえよ、そんなの」って感じで。

引用元:chanto

一方、兄たちは競って稽古に励み、稽古が好きでした。

彼にとって、それは異様な光景でした。

兄弟として兄を尊敬しながらも、彼はそのような兄たちを冷めた目で見ていました。

だから、小さい頃から子役同士で花束や祝儀の数を競わされることにも疑問を抱いていたと彼は言っています。

この素朴な疑問が、彼自身の意思の強さを育んだと考察します。

それから、彼は遂に、「同級生は稽古をしないのに、自分ばかり遊ぶ時間を惜しんで稽古する」ことに違和感を覚え始めます。

そのため、モチベーションは上がるどころか、1年1年歳を重ねる毎に役者に対する嫌悪感が増えるばかりでした。

5人きょうだいのなかで一番、稽古も役者の仕事も嫌いだったと思います。

「役者になんて絶対にならないぞ」と思っていました。「なるべくこの世界から遠いところに行きたい」と思っていましたね。

引用元:chanto

現在、役者ひと筋で生きている彼ですが、小さい頃は演技が嫌いでした。

意外なエピソードですね。

でも、幼い頃から家庭環境を考察していると、ある程度は納得できそうな気がします。

俳優には絶対になりたくないと思っていながらも、その嫌いな役者になった背景には何があったのでしょうか。

その過程を見てみましょう。

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役者人生のルーツ

テレビ初出演は9歳の時、NHK大河ドラマ「徳川慶喜」の幼少期の役でした。

そこから中学生の時に2つのテレビドラマに出演し、高校ではドラマ、映画で計14作品に出演しました。

小さい頃から演技が嫌いだった割には芸能活動をしっかり行ってきていました。

彼が学生時代にドラマや映画に出演したことは、母が離婚して母子家庭になっていたため、お金を稼ぐ手段にだったかもしれません。

そこで、「好きなことで、かつ、仕事としてやっていけること」を探したかったのでしょう。

そのため、俳優のオーディションを受けながら、他の仕事を探しました。

ちなみに、お金を稼ぐためにいろいろなバイトをしたというエピソードがあります。

自分の天職を見つけるため、手探り状態だったと考察できます。

例えば、解体業、蕎麦屋やイタリアンの厨房、ショーパブのボーイなどのアルバイトを経験しました。

しかし、どれもしっくりくるものがありません。

また、当時、日本の景気はリーマンショックからの回復段階にあり、東日本大震災にも見舞われて、役者の仕事は少ない時期でした。

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役者になった理由と転機

しかし、そのような中で、彼は27歳の時(2016年)、映画「葛城事件」で「第8回TAMA映画賞」の最優秀新進男優賞をしました。

悲惨な事件を起こす役柄を見事に演じ切り、視聴者の心を掴んだ絶妙な演技が評価されました。

彼自身、この作品が役者としての転機だと語っています。

ただ、その根底には「演じることは好きでない」という少年時代からの演技に対する反発心が、彼の演技を際立たせました。

というのは、高校卒業後、いろいろなアルバイトを経験しながら、今一つどの職業もピンとこないと語った若葉竜也。

「好きなことで、かつ、仕事としてやっていけること」を探していたつもりが、「お客様の満足度を高めることが出来る仕事=天職」だと気づいたようです。

自分が嫌っていた「演技」が「天職」だと分かり、自分の中で割り切って「役者になると決めた」時、実力を発揮できるものだと考察します。

「演技は嫌い」という意識を変えたのが、「葛城事件」への出演でした。

幼少期から「なぜ、頑張って稽古しなければならないのか?」と疑問に持ちながらも稽古を続けたことで、身に付けた演技力。

それによって、絶妙な演技を披露でき、この映画の監督・赤堀雅秋 氏を始め、業界から評価され、彼の居場所、つまり天職は見つかりました。

今だに彼は仕事をこのように捉えています。

(俳優を)辞めたら、ご飯が食べられなくなっちゃうじゃないですか。

いまさら役者を辞めてどこかに就職できるほど世の中は甘くないと思っているので。結局、今の自分にとっては、役者の仕事が一番食い扶持を稼げる可能性が高いだろうと。

   

でも、この仕事も情熱で乗りきれるほど甘い仕事ではないとも思います。だから、「好き」という感情だけではない大きな責任感のもとで役者を続けているつもりです。

引用元:chanto

好きで続けられるほど甘い世界ではないという点は、実に共感できますね。

今やっている仕事に全力でぶつかって成果を出さないと、次の仕事がないという心境は、彼の演技への熱意や熱心さに通じています。

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まとめ 若葉竜也の小さい頃のエピソードを考察!

まとめ 小さい頃のエピソードを考察!
  • 小さい頃の一番のエピソードは、物心つく前から舞台の上に立って、演技をしていたこと。
  • また、小さい頃の彼は、兄弟の中では演技が一番嫌いだった。
  • その結果、稽古に一生懸命励む兄たちを冷めた目で見ていた。
  • 役者だけにはならないと思いながらも芸能活動を続け、高校卒業後はアルバイトを経験したが天職が見つからなかった。
  • そのため、小さいころからの反骨精神が思春期の彼を悩ませたと考察する。
  • 20代後半で出演した映画「葛城事件」で初めて賞を受賞し、俳優業に専念することになった。
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小さい頃のエピソードを語っている若葉竜也

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