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宅浪 知恵袋Ⅰ

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宅浪 知恵袋に関係するノートとペン

『宅浪 知恵袋Ⅰ』は、宅浪の方にとって合格祈願やお守りよりも大切なものです。

私は宅浪(1浪)で同志社大学 商学部に合格しました。(同志社大学 (doshisha.ac.jp)

大学受験において、「合格」=「将来のチャンスを掴む」です。

つまり、その後の人生が大きく変わってきます。

「これで良いのか?」と不安になりがちな宅浪生の不安な気持ちに応えるべく、

難関大学に合格する術を何回かに分けてお伝えします。

かつて、高校2年から受験勉強を開始し、1年間宅浪して同志社大学に入学した

私の実体験をもとに、偏差値を上げる勉強方法だけでなく、モチベーションを持ち続

けるための工夫、偏差値が伸び始めるタイミングなど受験生が不安に思うことに応え

ていきたいと思います。

おなやみじじい
おなやみじじい

なるほど!

それは頼もしい是非、聞かせてほしいものじゃ・・・

私のような落ちこぼれでも難関大学に合格できたのですから、あなたが合格で

きないということは無い筈です。

なお、当サイトは国立大と私立大の文系志望者を対象にまとめています。

随所に散りばめた『宅浪 知恵袋』を一つずつ身につけて頂きたいと思います。

予備校生と宅浪生の違い(知恵袋Ⅰ)

先ず、予備校生と宅浪生の違いについて、

大きな違いは、ご存知の通り、「他人から学ぶ」か「自ら学ぶ」です。

(他にも違いはいくつかあります)

皆さんには、予備校へ行ってまで勉強するのは面倒くさい、自分のやり方で勉強した

いなど、それぞれ考えがあると思います。

つまり、そのような個人の考えを優先することは全く問題ありません。

     

おなやみじじい
おなやみじじい

昔は予備校なんぞ無かったものじゃ

だから、予備校など行かなくても試験受かる人は

受かるんじゃ!

違うか? 違わんだろ・・・

ギャルピー
ギャルピー

じいちゃん、ちょっと黙ってて・・・

なぜならば、自分の力を最大限に引き出すことができる勉強法が大事だからです。

結果を残すためには、自分のやり易い方法を選ぶことがまず第一です。

ただし、家族など周囲の迷惑をよそに、自分のやり方を貫くことはよろしくありませ

ん。

偏差値44からのスタートのきっかけ(宅浪 知恵袋Ⅰ)

私が1年間宅浪して同志社大学 商学部へ進学するまでのルートは紆余曲折でした。

このサイトを見ていらっしゃる方は、おそらく、受験勉強ひとすじ、もしくは学業と

部活動を両立された方がほとんどではないかと思います。

しかし、私は高校1年でバイトを始め、高2の4月から受験勉強を始めてからは一旦バ

イトをやめましたが、高校卒業と同時に夜間の短大へ半年通い、その間、生活費を稼

ぐために再びバイトを始めました。そこが私にとって宅浪の始まりでした。

その後、短大1年の夏休みから再び受験勉強を始めました。

そこにはいろいろな事情があったのですが、

それでも同志社大学に合格できました。

まだ他にも壁となる諸事情はありましたが、それは

追ってお話します。

宅浪 知恵袋のお守りで合格したい大学

ちなみに、受験勉強を始めた時の偏差値は44~45です。

進学校ではない高校に入学

高校受験に失敗し、滑り止めの学校に通い始めた私の高校は、学力のレベルがあまり

高くない高校でした。

それどころか、校内の風紀は荒れ、私が高校1年の時、同級生の中に校外で暴力事件

を起こす生徒が多く、中には万引きで警察に歩道される生徒もいました。

宅浪 知恵袋Ⅰをお守りに勉強する高校生

そのため、入学した1年間で多くの退学者が出て、2年に進級する時点でクラスが

8→7へと1クラス減りました。(これは本当の話デス)

また、普通科と商業科の高校でしたので、進学率は極めて低く、全校生徒の95%は就

職でした。

逆に、私の高校で大学へ進学できる人は、毎年両手数人ほどしかいませんでした。

私は校風を乱すことのない普通の生徒でしたが、だからと言って偏差値が特に高い訳

でもありませんでした。

なぜ、大学受験を目指したのか?

私の高校では模擬試験を受験する機会はほとんどありませんでした。

(当時、予備校は市内にK合塾のみ)

高校1年の私の偏差値は、

国語、数学、英語の3科目で平均44~45

このレベルではとうてい受験の土俵には乗りません。

そのため、当初、大学進学は諦め、高1の時は半年ほど土・日はバイトに勤しん

でいました。

高校卒業後は地元の企業に就職し、工場などで働くのだろうと思っていました。

私は反抗期を迎え、高校3年間は学校へ教科書を持参しない日が数多くありました。

また、進学を目指さない理由には、家庭の経済的なこともありました。

大学へ行くためには、奨学金とアルバイトが必要不可欠だったからです。

孤独に耐えて受験勉強に励み、合格の果てには奨学金を借りてバイトに明け暮れる生

活を考えると、大学へ進む気力は維持できそうにありませんでした。

ただ、私は内申点の不足から高校受験に失敗したのですが、その不本意な不合格に対

し、名誉挽回したいという強い気持ちがありました。

最終的にはこれがバネとなり、見返したい気持ちが勉強を後押ししました。

そこで、とりあえず第一希望はレベルの高い大学とし、大学受験だけは受けようと思

い始めました。

気持ちを切り替えることの大切さ(宅浪 知恵袋Ⅰ)

その先の行く・行かない(通う・通わない)は別として、大学合格という既成事実は

作っておいて良いということを思いつきました。

もし、大学の入学を諦めることになったとしても、「難関の〇△大学には合格してい

たんだ」という事実は、その後の世間の自分に対する見方も違ってくるかもしれない

と思ったからです。

そこで、先ずは高校2年の時から受験勉強を始めることにしました。

「もし、1年か1年ちょっと必死で勉強してみて、偏差値が全く上がらないようであれ

ば、その時は受験を諦めればいい」という気持ちで勉強を始めました。

「宅浪 知恵袋」にはこのような”発想の転換”も含まれます。

「どうせ大学に行かないのなら、最初から受験勉強をする必要はないだろう。この人

の、こういう発想は自分の受験勉強には関係ないな」と思うかもしれません。

しかし、切羽詰まった時に一つの考えに固執せずに考え方やものの見方を少し変えて

みるということ自体は、受験の合格にどこかで役に立ちます。

受験に関する経歴

偏差値44~45(学研の模試)から始めた受験勉強ですが、宅浪時代に最後に受けた

模試はS台予備校の模試で、その時の偏差値は、

国語 60

英語 68(偏差値の上位ランキング者として試験結果に名前が載る)

社会(日本史)60

で「B判定」でした。

偏差値を15以上もアップさせてきたことになりますが、この上げ幅の半分以上は宅浪

時代の成果です。

しかし、振り返ると、高校2~3年の時に偏差値を上げるための種まきを行ってきたこ

とが成果につながっていると思っています。

「宅浪 知恵袋」には”水面下でのひたむきな努力”も含まれます。

『継続は力なり』という言葉を耳にされたことはあると思いますが、毎日の積み

重ねは偏差値を上げるために必ず必要です。

まとめ (宅浪 知恵袋Ⅰ)

ここまでの内容をまとめると、次の通りです。

・予備校と宅浪は、勉強に対する姿勢において違いはあるものの、結果を出
  すに当たって、どちらが良い・悪いの違いはない ★★★★
 
・宅浪で合格を勝ち取るためには、(偏差値が伸び悩むような時でも、勉強

  を継続させるモチベーションとして)常に自分の気持ちを後押しする理由
  やきっかけが必要 ★★★★★

・受験勉強において偏差値を上げるために『継続は力なり』は必須条件 
                               ★★★★★

                    (★の数は5段階で、多いほど重要)

この続きは、シリーズ化して続編の「宅浪 知恵袋Ⅱ」にてお伝えします。

以下のリンクをご参照ください。

宅浪 知恵袋Ⅱ

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